気と経絡の研究会

学術的経絡観察

学術的に経絡を考える

脈診嫌いの経絡治療家

私が鍼灸師資格を取得して20数年が経つ。
鍼灸学校を卒業したときにはなんの根拠もない自信だけがあったが、就職して現場に出ると、当然そんな思い込みだけの自信はあっという間に消し飛んでしまった。とにかく治せないのだ(当たり前だ!)
痛いところに鍼をするだけの鍼通電しかしない治療院に勤務していれば、あるいはもう少し、根拠のない自信は継続していたかもしれない。

しかし、当時の私は経絡や経穴を自在に調整する東洋医学を実践する鍼灸師になりたかった。

そして、現場にでればそんな鍼灸の師に出会えるであろうと、ただ漠然と考えていた。理想の鍼灸術に出会うために、あちこちに見学に行ったが経絡とはなにか?に明確に答えてくれる師にはなかなか出会えなかった。
いま考えれば当たり前なのだが、それでも理想の鍼灸術を追求してみようとしていた。唯一、「鍼灸真髄(医道の日本)」に書かれている澤田健先生の太極療法なるものが理想の鍼灸術に近かったが現代ではその治療法を継承している鍼灸師は皆無で、澤田先生一代限りの名人芸で終わっているということだった。

とりあえず就職するために、仙台の渡辺一男先生(星状神経節置鍼法)のもとを訪ねることになったのだが、同師は経絡を完全否定する先生だった。

(注)ただし、渡辺先生はなんの理由もなく経絡を否定されていたわけでは無い。経絡治療も学ばれたうえで、科学的鍼灸の道を目指されたのである。そしてその技術は優れたのもであった。ただ、私には合わなかったというだけだ。事実、私のメニエールを1回の施術で治していただいた。

そこで、やはり経絡を調整する技術に近づこうと仙台市内で開かれていた漢方・中医学の勉強会に参加することした。

主催は赤門鍼灸専門学校でも教鞭をとられたことのある小川先生である。ここで漢方の基本的な考えと中医学鍼灸術の基礎を教えていただいた。非常に知識の幅の広い先生で、鍼灸と漢方薬以外にも気学や易、四柱推命、またオステオパシー、カイロプラクティックの技術についても教えていただいた。

そこでは鍼灸術そのものよりも東洋医学の背景にある東洋哲学の考え方を中心に学び、また私自身もそれにのめりこみ、一時期鍼灸よりも易や気学の研究に没頭したことがある。

同時期に中国の黒竜江省から留学に来られた金先生という中医師から気功も教えていただいた。

理由は、気や経絡を外部から観測することが出来ないのなら、自分の体の中で感覚化すれば、経絡を感知する技術を開発する糸口が見つかるかもしれないと考えたからだ。

ところでこの時期に経絡治療を学ぼうという考えは、私の中にはなかった。なぜなら脈診が嫌いだったから。

つまり脈診嫌いの鍼灸師とは私自身のことだ。なぜ?と聞かれても明確な理由はない。
しいて言えば、生理的に脈診が嫌いだった。また主観でどのようにも捉えられる脈診からの情報はあいまいで正確さに欠けると考えていた。客観的に誰にも納得いくようなデータから導き出される経絡の測定システムでないとだめだと考えていたかたらだ。そういう意味では私も科学派鍼灸師と言える。

当時は経絡を否定する科学派、もしくは盲目的に経絡を信じる古典派の二派に分かれていたように思う。経絡を科学的に解明しようとする研究家もいたが結局失敗に終わっているのと、どうも方向性が違うと感じた。

私自身はいずれの派でもなく、ただ古典の世界が正しいことを科学的に証明できたらいいなと考えていたのだと思う。
さて、そんな脈診嫌いの私が脈診流とも称する東洋はり医学会の経絡治療を学ぶことになったのはなぜか?

体が輝いて見える盲目の経絡治療家

当時の東洋はり医学会宮城県支部長をされていた菅原先生の治療を見学させていただいた。
どうしても治しきれなかった患者さんを診ていただいたのだ。

感想を一言で言うと、流麗な施術であった。そして施術の最後にこう言われたのだ。「治療がうまくいくと、患者の体が輝いて見えるよ」
その時の私にはまったくの意味不明な言葉でしかなかった。
それに菅原先生は全盲なのだ。

視力で見えているわけでは無いはずである。
この言葉の意味はのちのち判明するが、ずっと後の話である。
おそらく菅原先生は、気の流れ(気滞)を感覚として捉えておられたのではないだろうか。
先生自身がそのことを認識されていたかどうかは分からない。

しかし、菅原先生の施術が芸術的に美しかったことは確かだ。もちろんその患者さんも回復していった。

そこで初めて経絡治療というものに興味をもったのだ。
また、気というものを感覚化されている先生がおられるという事が、のちに東洋はり医学会に入会する理由の一つにもなっている。

ただ、小川先生のところの勉強会が一段落していなかったこともあり、すぐには東洋はり医学会には進まなかった。

素直に進めなかったのにはもう一つ理由がある。小川先生のお弟子さんたち(私の先輩たちだが)が、さっさと東洋はり医学会に乗り換え、さらに小川先生を軽んじる発言をしていたことへの反発もある。小川先生は決して実力の無い先生ではない。ただ中医学ということもあり、その理論は複雑で難しい。

そんな中で苦戦していた先輩たちが、経絡治療のシンプルな診断・施術体系に惹かれたのだろう。
それは構わない。だが、もとの師匠をどうこう言うのは私には良い感情が持てなかった。そういう人たちと一緒に勉強したくなかったのだ。
念のために言っておくが、菅原先生はそんなことには感知していないし、生徒を煽ったわけでもない。
また、そんな言動をしていたのはほんの一部の生徒のみだ。

そんなわけで、経絡治療に興味を引かれつつも、実際に東洋はり医学会に入会するのは3年後、地元の福井に戻ってからになる。
ではその3年間にいったい何をしていたのか?

もちろん、ただ遊んでいたわけではない。

失われた技術

経絡はそもそも、どのようにして発見されたのか?

あるとき、このような言葉を聞いた。

「人類は必ずしも進化しているわけでは無い。退化している部分もある。文化も同じである。新発見・発明のなかで失われていく技術や文化もある」

もし経絡を発見した技術が現在では失伝もしくは退化しているとしたらどうか?

私が鍼灸学校で習った限りでは、長い長い経験則から、経絡という概念が誕生しすこしづつ整理されていった、という事になっている。
その経験則は特殊な観察機械や特殊能力によるものではなく、通常の人が通常の五感を使って観察し、少しずつまとめていったものだ。

しかし、本当にそうか?

五感(視覚、聴覚、触覚など)を活用して経絡が発見成立したのであれば、その研究課程が文献ないし記録として残っているのではないか、残っていないのは後世の研究者がその発見の過程を全く理解できず、その歴史を破棄してしまったか、もしくは発見者自身がそれを記録して残すことが出来なかったからだ。つまり通常の人間には理解できない技術で経絡は成立していったのではないか?

だが、五感を活用して経絡が発見されたのでは無いと仮定すると、どのようにして経絡は発見されたのか?

その答えはある人物によって教えられることになる。
ある人物とは鍼灸とは全く関係のない人物だった。
(答えは研修会の中で!)

経絡治療においては一般的に脈の変化を重視しているが、本当に脈が変化すれば経絡の気の流れが整い、病苦の改善に役立つ事ができるのか?

答えは「否」だと思う。

脈はちょっとしたことでもすぐに変化する。

試しに皆さん、自分の体の適当なこところに鍼先で刺激を与えてみてください。実際に刺入しなくても結構です。鍼先でチョンチョンと突くだけでかまわない。

どうでしょう?それだけでも脈が変化するのではないですか?

試しにスポーツの準備運動みたいに全身ストレッチそしてみてください。脈が平に近づく。

じゃあ、本治法をするのと同じくらいの効果がストレッチでもでるのか?と言うと、そういうわけではない。

このときの脈の変化は確かにあるのですが、効果は持続しない。
気の滞りを解消して脈を整えた場合の脈の変化は、この実験の脈の変化とは明らかに違うものなのだ。

単純に脈が変化すれば症状も変化する、というわけではないということだ。

本当の経絡の変化を追及する、それが当会の目指す経絡治療である。

以下の質問に自分なりの答えを出してみてください。

問題1
気・経絡の存在を証明してください。

問題2
陰陽五行論の正当性を証明してください。

問題3
気を補うとはどういうことか説明してください。

以上の質問に皆が納得できる答えを出せますでしょうか(笑)
難しいですよね。

気を理解するために

観測可能な現象を集計し、分類する。
その現象がすべて説明可能ならば東洋医学の古典はデタラメであることが証明できる。

しかし、科学的に説明可能な現象以外の現象が、誤差の範囲を超えて、無視できない相当数存在する場合、何らかの仮説を立てる必要がある。

陰陽とは

相反するもの、対立する存在、矛盾する存在

気と血=非物質と物質=潛象界と現象界

=原初感覚(第六感)と通常感覚(いわゆる五感)
1、経絡は原初感覚によって発見された

2、それを統計、分類し理屈付したものが古典医学

3、すべてに当てはまる原則はまだ無い

4、なぜなら、証明できないから

以上すべて仮説です(念のため)

現存する気の概念、経絡図、陰陽五行論、
その他の古典理論は、統計上ある程度の数が観測された現象を例として集めたものであり、さまざまな理屈が仮説として付け加えられたものである。

気は血の帥、つまり気を整えることで、物質である筋骨の調整もできる。

ならば、その逆もある!

経絡治療において筋(経筋・骨)は無視できず、また整体において,
経絡の存在は無視できない。

経絡治療の適応か否か!?

気と血(筋骨)非物質と物質の境目は曖昧ではあるが、気滞(経絡の変動)の有無がひとつの基準である。

経絡の変動が全く無ければ経絡治療の適応にはならない。

原初感覚による観察(診察)=五感による観察(通常診察)

この両者を一致させていくことが重要。
どちらか一方ではダメではないだろうか。
1、原初感覚を対外的に磨く練習
2、原初感覚を内的に磨く練習
3、気滞の発現が通常診察上、どのように観察されるか
4、経絡(経穴)の発現が、通常診察上どのように観察されるか
5、筋骨と経絡経穴の関連性

2つの課題

情報伝達経路としての経絡の走行の確認

刺激を欲するポイント(施術点)としての経穴の存在の確認

再び質問です

問題4
経と絡の違いはなにか?

問題5
経別と奇経の違いはなにか?

問題6
経絡と経筋の違いはなにか?

気滞診断という技術

古来から東洋医学・鍼灸という世界には気滞診断という技術が存在しました。その気滞診断の技術をもちいて手技療法の技術が臨床においてどのように作用しているのか?さまざまな手技に対して、気滞診断の技術をどう応用していったらよいかを検証することが、我々の大きな課題です。

とおる技とは?

私(為澤)の師匠の熊坂護先生の口癖に「技(整復の)がとおらないとダメだよ」というのがあります。

最初はどういう意味かわかりませんでしたが、実際に他の先生がたと技をかけあったりしているうちに気がついたことがあります。

例えば蹴って整復するという動作(技)があるのですが、熊坂先生の技は激しいように見えて実際には局所への刺激はさほどでもなく、体全体に「響く」感じがあるのに対して、他の方の技は形は決まっているのですが、響きはなく、局所に衝撃を感じるのみです。

どう表現してよいのかわかりませんが、確かに「違う」のです。
                      
師匠・熊坂護先生のHPです!
熊坂武術院

                       

整体の技術について(歪みの分類)

体がゆがむといろいろな障害が発生する。では歪みとはなにか?

気や経絡を抜きに現象界(筋骨格系)のみを対象に考えると、次のように分類される。

 1、骨折・脱臼
 2、骨変形
 3、軟部組織の変形症
 4、軟部組織の硬直性機能障害・・・一部亜脱臼
 5、軟部組織の弛緩性機能障害
 6、軟部組織の一過性の緊張・・・一部亜脱臼

歪みと言っても一概には言えず、その種類によって、それに対応する整復技術はまったく違ってくるのです。
 

気滞診断

1、気滞とは?
鍼灸の世界では気滞という言葉がある。古い言葉では邪気(ほぼ同意語)ともいわれているが、これが病気の発生原因だということだ。
そこで、鍼灸師たちはさまざまな方法で気滞(邪気)をとらえようとしてきたのである。

2、気滞を感知する技術
はっきりしているのは気滞を感知する能力は五感によるものではないということです。五感以外の特殊な感覚を養っていく必要があるわけで、それは経絡を調整する技術者は修得すべき能力だと思われます。

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